それぞれのメタル元年 番外編~ブラック・メタル~
2014.04.22
EMPEROR JAPAN TOUR 2014 "IN THE NIGHTSIDE ECLIPSE" 20th ANNIVERSARY
ノルウェーであったエキストリーム・メタル・フェス「INFERNO」へ
Sighとしての出演から帰国したばかりの川嶋未来氏に寄稿して頂きました。
Sighとしての出演から帰国したばかりの川嶋未来氏に寄稿して頂きました。
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2013.10.23
80年代スラッシュメタル最高速バンドがやって来る!!
川嶋未来氏がEXTREME THE DOJO番外編に出演するWehrmachtへの思いを寄稿してくれました。
知ってる人も知らない人もチェックして損はないと思います。
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2013.10.15
最終回 総括 - ブラックメタルとは何であったのか
ブラックメタルというジャンルがどのように生まれ、エクストリームメタルの一ジャンルとして根付いていったかを十回以上に渡り見てきた訳だが、このジャンルが特殊であったポイントは二つ。
まず、音楽そのものではなく、ブラックメタルバンドが犯した犯罪によって大きな脚光を浴びたということ。過去にもメンバーが犯罪を犯したバンドはいくらでもいる。
だが、そのジャンルに属するバンドが一体となり、一国の国民全体を恐怖のどん底に突き落としたというのはブラックメタルが初だろう。
まず、音楽そのものではなく、ブラックメタルバンドが犯した犯罪によって大きな脚光を浴びたということ。過去にもメンバーが犯罪を犯したバンドはいくらでもいる。
だが、そのジャンルに属するバンドが一体となり、一国の国民全体を恐怖のどん底に突き落としたというのはブラックメタルが初だろう。
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2013.09.15
第11回 ブームの終焉は殺人によってもたらされた
メジャー音楽誌Kerrang!に特集されたことにより、ブラックメタル・ブームは過熱。
しかしそれが、ノルウェーのブラックメタル界では思わぬ不和を生み出す結果となった。
MayhemのEuronymousとBurzumのVarg Vikernesの対立。
とは言え、普通ならせいぜい殴り合い程度で終わるところ。
だがこの二人の争いは、行くところまで行ってしまった。
しかしそれが、ノルウェーのブラックメタル界では思わぬ不和を生み出す結果となった。
MayhemのEuronymousとBurzumのVarg Vikernesの対立。
とは言え、普通ならせいぜい殴り合い程度で終わるところ。
だがこの二人の争いは、行くところまで行ってしまった。
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2013.08.19
第10回 ノルウェジアン・ブラックメタル第3の衝撃:Kerrang!によるブラックメタル大特集
極一部のマニアだけが知る存在であったノルウェーのブラックメタルが、表舞台に登場するに至るまでには大きく見て三段階を踏んでいる。
一つ目は1991年、MayhemのヴォーカリストDeadの自殺。同じくMayhemのギタリストEuronymousがDeadの死をきっかけとし、現在のブラックメタルのイメージ・方向性というものを固めたのは間違いない。Euronymousはアンチ・デスメタルを標榜し、自らオープンしたレコード/CDストアHelveteで、若いメタルファンたちの洗脳を開始した。その洗脳の最初の結実とも言える、人気テクニカル・デスメタルバンドDarkthroneのブラックメタル転向が第二段階であり、これにより当時エクストリームメタル界では最も人気のあったデスメタルのファンたちに、ブラックメタルというものの存在を知らしめることになった。
そして第三段階、ブラックメタルを一気にメジャーな存在に押し上げる決定打となった事件。1993年3月、イギリスの音楽誌Kerrang!による突然のブラックメタル特集だ。
一つ目は1991年、MayhemのヴォーカリストDeadの自殺。同じくMayhemのギタリストEuronymousがDeadの死をきっかけとし、現在のブラックメタルのイメージ・方向性というものを固めたのは間違いない。Euronymousはアンチ・デスメタルを標榜し、自らオープンしたレコード/CDストアHelveteで、若いメタルファンたちの洗脳を開始した。その洗脳の最初の結実とも言える、人気テクニカル・デスメタルバンドDarkthroneのブラックメタル転向が第二段階であり、これにより当時エクストリームメタル界では最も人気のあったデスメタルのファンたちに、ブラックメタルというものの存在を知らしめることになった。
そして第三段階、ブラックメタルを一気にメジャーな存在に押し上げる決定打となった事件。1993年3月、イギリスの音楽誌Kerrang!による突然のブラックメタル特集だ。
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2013.07.16
第9回 ノルウェジアン・ブラックメタル第2の衝撃:Darkthroneのブラックメタル転向
Darkthrone、セカンドアルバム"A Blaze in the Northern Sky"リリース。Darkthroneと言えば、当時デスメタル、それもテクニカルなバンドとして名を馳せていた。つまり、ブラックメタルとは対極に位置する存在として認識されていたのだ。
前年の91年にはデビューアルバム"Soulside Journey"を、ハードコア~デスメタルのレーベルとして認知されていたPeaceville Recordsからリリース、メインストリームのデスメタルファンから絶大な支持を受けていた。
そんな彼らがEuronymousに洗脳され、突然白塗りをし、前作とは正反対の作品を発表したのだから、そのインパクトたるや計り知れないものがあった。
前年の91年にはデビューアルバム"Soulside Journey"を、ハードコア~デスメタルのレーベルとして認知されていたPeaceville Recordsからリリース、メインストリームのデスメタルファンから絶大な支持を受けていた。
そんな彼らがEuronymousに洗脳され、突然白塗りをし、前作とは正反対の作品を発表したのだから、そのインパクトたるや計り知れないものがあった。
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2013.06.15
第8回 ~ノルウェジアン・ブラックメタル最初の衝撃:Deadの自殺~
DeadはBathory, SodomやHellhammerのようなイーヴルなバンド、黒Tシャツ、レザー、そして銃弾ベルトを愛していた。
ところが今のシーンは短パンに野球のシューズを履いているような"Life Metal"バンドに占拠されてしまった。
だからDeadは自らの命を絶ったのだ!
ところが今のシーンは短パンに野球のシューズを履いているような"Life Metal"バンドに占拠されてしまった。
だからDeadは自らの命を絶ったのだ!
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2013.05.15
第7回 ~ブラックメタルはエクストリームメタル史上初、過去の振り返りである~
Bathoryのサードアルバム、87年発表の"Under the Sign of the Black Mark"が、その後のブラックメタルというジャンルの音楽的テンプレートとなったことは前回述べた通り。だが、この名作がリリースされるや否や、クローンやフォロワーが大挙して現れたというわけではなかったところがブラックメタル・ブームの特殊なところだ。
MetallicaやSlayerの出現により、世界中でスラッシュメタルバンドが結成され、スラッシュメタルはあっという間にブームになった。Napalm Deathらに先導されたグラインドコア、Morbid Angel, Entombedらを筆頭にしたフロリダ・スウェーデン勢に端を発したデスメタル、いずれのムーヴメントも、オリジネイターの出現からフォロワーの発生までの時間はわずかだ。
しかしブラックメタルは違う。
MetallicaやSlayerの出現により、世界中でスラッシュメタルバンドが結成され、スラッシュメタルはあっという間にブームになった。Napalm Deathらに先導されたグラインドコア、Morbid Angel, Entombedらを筆頭にしたフロリダ・スウェーデン勢に端を発したデスメタル、いずれのムーヴメントも、オリジネイターの出現からフォロワーの発生までの時間はわずかだ。
しかしブラックメタルは違う。
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2013.04.15
第6回 エクストリームメタルの歴史を変えたアルバム "Under the Sign of the Black Mark"
さて2回に渡り、90年代以降のブラックメタルに影響を与えたバンド・作品を色々と見てきたわけだが、実のところスカンジナヴィア、特にノルウェーにおけるブラックメタルムーヴメントのテンプレートとされた作品は、たった一枚に絞ることができる。
スウェーデンのBathoryによるサードアルバム、"Under the Sign of the Black Mark"だ。
Bathoryは2004年に38歳の若さでこの世を去ってしまったQuorthonによる、ほぼワンマンのバンド。
"Under the Sign of the Black Mark"は1987年にリリースされ、その当時はまだブラックメタルという概念が一般的でなかったため、普通にスラッシュメタルの一枚として扱われていた。
だが実際は、90年代ブラックメタルの完成形がそこに提示されているのである。
スウェーデンのBathoryによるサードアルバム、"Under the Sign of the Black Mark"だ。
Bathoryは2004年に38歳の若さでこの世を去ってしまったQuorthonによる、ほぼワンマンのバンド。
"Under the Sign of the Black Mark"は1987年にリリースされ、その当時はまだブラックメタルという概念が一般的でなかったため、普通にスラッシュメタルの一枚として扱われていた。
だが実際は、90年代ブラックメタルの完成形がそこに提示されているのである。
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2013.03.15
第5回 ~偏狭すぎる80年代南米・北米スラッシュディスクガイド~
ビッグ4を筆頭に、「健全な」スラッシュメタルが人気を集めていた北米は、後のブラックメタルへの影響は希薄であったが、中南米となると話はまったく別。
気候的には対極にあるであろうスカンジナヴィアのミュージシャンたちの興味をそそるイーヴルで滅茶苦茶なバンドが、何故か80年代の中南米にはたくさんいた。
そして80年代後半、北米・ヨーロッパのシーンがどんどん健全化していく中、中南米のシーンは何故か時代から取り残され、邪悪なメタルを好む者たちにとっては最後の楽園的な様相を呈していたのだ。
気候的には対極にあるであろうスカンジナヴィアのミュージシャンたちの興味をそそるイーヴルで滅茶苦茶なバンドが、何故か80年代の中南米にはたくさんいた。
そして80年代後半、北米・ヨーロッパのシーンがどんどん健全化していく中、中南米のシーンは何故か時代から取り残され、邪悪なメタルを好む者たちにとっては最後の楽園的な様相を呈していたのだ。
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2013.02.15
第4回 ~偏狭すぎる80年代ヨーロピアンスラッシュディスクガイド~
今回は、「90年代ブラックメタルへの影響の大きさ」という観点から、80年代のヨーロピアンスラッシュメタルを見ていきたい。
前回書いた通り、スラッシュメタルがイーヴルであったのはせいぜい86年まで。
ここに挙げたバンドたちも、それ以降例外なくどんどん「健全化」してしまったのが面白い。
前回書いた通り、スラッシュメタルがイーヴルであったのはせいぜい86年まで。
ここに挙げたバンドたちも、それ以降例外なくどんどん「健全化」してしまったのが面白い。
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2013.01.15
第3回 ~80年代後半北米スラッシュメタルへのアンチテーゼとしてのブラックメタル~
Bathory御大に話を進める前に、90年代ブラックメタルに対するVenom、Bathory以外の影響についても触れておきたい。
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2012.12.15
第2回 Black Metalの生みの親にして名づけ親 – Venom –
Black Metalという「言葉」を作り出したのは、イギリスのVenomである。
1982年発売のセカンドアルバムのタイトルが、そのものずばり"Black Metal"。
ただ、それがジャンルとして即認知されたかというとそうではなく、VenomはむしろThrash Metalの元祖という捉えられ方をしていた。
82年と言えば、まだまだThrash Metalすら生まれたばかり。
その中でさらなるジャンルの細分化が起こるような状況ではなかった。
1982年発売のセカンドアルバムのタイトルが、そのものずばり"Black Metal"。
ただ、それがジャンルとして即認知されたかというとそうではなく、VenomはむしろThrash Metalの元祖という捉えられ方をしていた。
82年と言えば、まだまだThrash Metalすら生まれたばかり。
その中でさらなるジャンルの細分化が起こるような状況ではなかった。
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2012.11.15
ブラックメタルとは何なのか 歴史編①
ブラックメタルはいつ、どのように誕生したのか。
ブラックメタルについては、デスメタルに比べると、その誕生の経緯はわりとはっきりしている。
史上初のデスメタルバンドは誰か、史上初のデスメタルアルバムはどれか、と問われるた場合、おそらく人によって見解はかなり異なるのではないか。
ブラックメタルについては、デスメタルに比べると、その誕生の経緯はわりとはっきりしている。
史上初のデスメタルバンドは誰か、史上初のデスメタルアルバムはどれか、と問われるた場合、おそらく人によって見解はかなり異なるのではないか。
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