「デスメタル」という言葉に限れば、イギリスのOnslaughtとアメリカのPossessedが、それぞれ85年のデビュー作で"Death Metal"という曲を発表している。(Possessedは84年のデモのタイトルも"Death Metal"。)
だからと言ってOnslaughtをデスメタルのルーツと考える人は殆どいないであろうし、Possessedは確かに特にそのヴォーカルスタイルがデスメタルに大きな影響を与えたとは言え、やはりスラッシュメタルの範疇で語られるべきバンドであろう。
デスメタルの場合、そのルーツとなったバンドはPossessedを含めDeath、Repulsionなどなど複数あり、その後のシーンはスラッシュメタルからグラデーション的にデスメタルへと移行していったと考えられる。
当時は既存のシーンとは断絶していると思ったほど革命的であったMorbid Angelの"Altar of Madness"ですら、今の耳で聞けばスラッシュメタル色は色濃い。
Deicideのファーストについてもしかりだ。
それはデスメタルがスラッシュメタルの進化型であり、基本的にスラッシュメタルの延長戦上に存在したものであるからだ。
だが、少なくとも90年代におけるブラックメタルブームの有り方は、ちょっと様相が違った。
当時のブラックメタルのアイデンティティには、多かれ少なかれ、トレンドであったフロリダやスウェーデンのデスメタル、もしくはグラインドコアというスタイルへの反発が含まれていたからだ。
デスメタルがスラッシュメタルの発展型として誕生したのに対し、ブラックメタルはその先ではなく、一旦デスメタルを否定し、そのルーツであるスラッシュメタルへの回帰という形でブームとなったのだ。
当時、スラッシュメタルの冷遇され具合は酷いものであった。今でこそスラッシュメタルにはスラッシュメタルとしての良さがあり、デスメタルと併存してその存在を認められているが、90年代初頭はそうではなかった。
当時の多くのエクストリームメタルファンは、より過激なものを求めて行った結果、スラッシュメタルからデスメタル、グラインドコアに行きついた。
結果スラッシュメタルというのは、「過激さにおいて劣るもの」「時代遅れの遺物」という捉え方をされていたのだ。
それを21世紀の今、想像するのは難しいかもしれない。
しかし当時は誰も見向きもしないスラッシュの中古LPなど100円、CDなら300円程度で投げ売りされていた時代だ。
ある意味時代遅れのスラッシュメタルファンには天国であった。
そのような状況下で、「本来エクストリームメタルとはイーヴルであるべきではないのか?白Tシャツに短パン、バスケットシューズを履いて地球温暖化について歌うのがデスメタル?そんなのライフメタルじゃないか。」と疑問を呈したのが、故Euronymous率いるMayhemを中心としたノルウェーのバンド群だった。
Venom、Bathoryへの回帰。
それが彼らの理念だった。
つまり、
①Venomの"Black Metal"リリース、
②Bathoryの"Under the Sign of the Black Mark"リリース、
③90年代初頭のノルウェーにおけるブラックメタルブーム、の3つである。
本コラムでは、順次これらの詳細について触れていきたい。
CREDIT: Sigh 川嶋