だが、この名作がリリースされるや否や、クローンやフォロワーが大挙して現れたというわけではなかったところがブラックメタル・ブームの特殊なところだ。
MetallicaやSlayerの出現により、世界中でスラッシュメタルバンドが結成され、スラッシュメタルはあっという間にブームになった。
Napalm Deathらに先導されたグラインドコア、Morbid Angel, Entombedらを筆頭にしたフロリダ・スウェーデン勢に端を発したデスメタル、いずれのムーヴメントも、オリジネイターの出現からフォロワーの発生までの時間はわずかだ。
しかしブラックメタルは違う。
もちろん"Under the Sign of the Black Mark"は、コアなスラッシュメタルマニアの間では、名盤として話題になった。
だが、87年というのは、スラッシュメタルバンド、特にBathoryのようなイーヴルなスタイルを信条としていたバンドにとって、確実に逆風が吹き始めた年。
しかもその逆風は、スラッシュメタルというジャンルの中と外、両方から吹いていた。
スラッシュメタル内部からの逆風というのは、このコラムで何度も書いている通り、スラッシュメタル健全化の波。
Metallicaを筆頭に、主にアメリカのスラッシュメタルがメインストリームで受け入れられるようになると、スラッシュメタルにも「インテレクチュアル」であることが求められ始める。
「インテレクチュアルである」とは、すなわち1曲10分の曲を書き、バラードなども含む46分テープには収まらないアルバムをリリースし、地球の環境問題に関心を寄せることだ。
速いほど偉く、バカであるほど賛美されたはずのスラッシュメタルが、まったく対極の美学を獲得してしまったのだ。
1987年がTestamentやDeath Angelと言った、いわゆるベイエリア・スラッシュメタルのバンドがデビュー作をリリースした年であるというのが象徴的である。 そして外部からの逆風とは、デスメタル・グラインドコアの台頭。
Napalm Deathのファースト"Scum"は、"Under the Sign of the Black Mark"と同じ、87年にリリースされているのだ。さらにアンダーグラウンドではすでに絶大な人気を誇っていたDeathが、"Scream Bloody Gore"で満を持してデビュー。新たな時代の到来を予感させていた。
21世紀の今日、1987年という年を振り返ってみると、この年がいかに充実していたかがわかる。
スラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタル、グラインドコアが一気にぶつかっているのだ。
だがそれは、あくまで今日の視点。
当時はイーヴルなスラッシュメタル=時代遅れの遺物という風潮が、じわじわと、そして確実に広がり始めたのである。
つまりはメインストリーム寄りのファンは「インテレクチュアル」なバンドを求め、コアなファンはより過激なデスメタル・グラインドコアに心を奪われているような状況下で、一番割を食ったのは、このどちらにも属さないBathoryのようなバンドだったのだ。
果たしてBathoryは80年代の終わりには、新たなムーヴメントを起こすどころか、逆に時代遅れの象徴となってしまう。
そしてそれは90年代初頭、MayhemのリーダーEuronymousが「健全化」したシーンを糾弾するステートメントを出すまで続いた。
Euronymousは、そのステートメントの中で、当時はすっかり忘れられていた、もしくは蔑まれていたHellhammerとBathoryの復権を声高に唱えたのだ。
繰り返すが"Under the Sign of the Black Mark"はリリース当初も、先鋭的なファンからは絶賛されていた。
だが、まさかそれが新たなムーヴメントの礎になろうとは、おそらく誰も思わなかっただろう。
ブラックメタルは、エクストリームメタルというへヴィメタルがどんどん過激になっていく進化の過程で、初めて起こった過去の振り返り、リヴァイヴァルという側面を持ったムーヴメントだったのである。
"Under the Sign of the Mark"と同じ1987年にリリースされたアルバム
CREDIT: Sigh 川嶋