馬の耳に念仏
2015.03.31
第35回 ”Amateur Wankers”

パンクロックの旅で、アメリカをさまよっていたが、今回はイギリスだ。イギリスのバーミンガムのバンドを紹介しよう。
バーミンガムといえば、Black SabbathやJudas Priestといったヘヴィーなバンドを思い浮かべる人が多いと思う。Dojoでお馴染みのNapalm Deathもバーミンガム近郊で結成されているから、やっぱりイメージ的には”重い”感じだ。
それでは、パンク期のバーミンガムはどうだったんだろう?
後にDexy's Midnight Runnersを結成するThe KilljoysのKevは”バーミンガムはロンドンと比べるとまだまだ”って言っていたけど、パッと思いつくだけでも、Suburban Studs、The Killjoys、Spizzといったところの名前が出てくる。結構格好いいバンドが居たといえる。
バーミンガムといえば、Black SabbathやJudas Priestといったヘヴィーなバンドを思い浮かべる人が多いと思う。Dojoでお馴染みのNapalm Deathもバーミンガム近郊で結成されているから、やっぱりイメージ的には”重い”感じだ。
それでは、パンク期のバーミンガムはどうだったんだろう?
後にDexy's Midnight Runnersを結成するThe KilljoysのKevは”バーミンガムはロンドンと比べるとまだまだ”って言っていたけど、パッと思いつくだけでも、Suburban Studs、The Killjoys、Spizzといったところの名前が出てくる。結構格好いいバンドが居たといえる。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2015.02.28
第34回 ”Make A Record”

今回は、アメリカ中西部の"裏"重鎮バンド(と勝手に決め込んでいる)The Suicide Commandosだ。
メジャーからアルバムが出ているにもかかわらず、忘れられたバンドの筆頭じゃないだろうか。いや、忘れられたというよりも、日本では”知られていないバンド”と言った方がピッタリかな。よっぽど熱心なパンクロック・ファンでも、このバンドに辿り着くことは少ないかもしれない。だって、誰も情報を出さないんだから。メジャー・リリースなのに今まで一度も日本発売されていないことも影響しているんだろう。
メジャーからアルバムが出ているにもかかわらず、忘れられたバンドの筆頭じゃないだろうか。いや、忘れられたというよりも、日本では”知られていないバンド”と言った方がピッタリかな。よっぽど熱心なパンクロック・ファンでも、このバンドに辿り着くことは少ないかもしれない。だって、誰も情報を出さないんだから。メジャー・リリースなのに今まで一度も日本発売されていないことも影響しているんだろう。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2015.01.31
第33回 ”Sex Drive”

私の大好きなパンク・ロックは、レコードコレクターのレコード箱の中に閉じ込められている作品が多くある。
要するに、売れなかったから幻になったものや自主制作で限定盤といった類いのものだ。
だけど、インターネットの普及により、アナログ盤に拘らなければ、珍しくなった音に自宅に居ながら簡単に接することが出来るようになっている。
この状況を逆手に取って、今年はあまり有名ではないパンク・ロックを出来るだけ紹介していこうと思っている。
中には、誰でも知っているようなバンドもあると思うけど、私の大好きなパンク・ロックをコレクターの箱から解放していこう。
要するに、売れなかったから幻になったものや自主制作で限定盤といった類いのものだ。
だけど、インターネットの普及により、アナログ盤に拘らなければ、珍しくなった音に自宅に居ながら簡単に接することが出来るようになっている。
この状況を逆手に取って、今年はあまり有名ではないパンク・ロックを出来るだけ紹介していこうと思っている。
中には、誰でも知っているようなバンドもあると思うけど、私の大好きなパンク・ロックをコレクターの箱から解放していこう。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.11.30
第32回 ”ラモーンズの激情”

11月5日(水)、名古屋で”ラモーンズの激情”完全再現に行ってきました。
今回は、少しだけ特別な気分。
だって、2014年はRAMONESが1974年に結成して40年になるんだから。
それなのに、2014年7月にTommyが亡くなって、RAMONESのオリジナルメンバー4人は、この世にいなくなってしまった。
なんとなく感傷的な気分が重石をかけているのだ。
その気持ちを汲んでか、日本のラモーンズ・ファンがCJ ラモーンの日本公演を実現させてくれた。
今回は、少しだけ特別な気分。
だって、2014年はRAMONESが1974年に結成して40年になるんだから。
それなのに、2014年7月にTommyが亡くなって、RAMONESのオリジナルメンバー4人は、この世にいなくなってしまった。
なんとなく感傷的な気分が重石をかけているのだ。
その気持ちを汲んでか、日本のラモーンズ・ファンがCJ ラモーンの日本公演を実現させてくれた。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.11.01
第31回 ”もう一つの北アイルランド”

今年、日本のパンク好きで話題になった映画と言えば、CRASSのドキュメンタリー『There Is No Authority But Yourself』だと思う。
その映画が、日本でDVD化されとのとほぼ同時期に、こっそりと、初期パンクのドキュメンタリー映画の『シェルショック・ロック』が出ている。
少し前に、東京で上映されたのだが、地方に住んでいるものには見ることが叶わなかっただけに、今回のDVD化は素直に嬉しい。
その映画が、日本でDVD化されとのとほぼ同時期に、こっそりと、初期パンクのドキュメンタリー映画の『シェルショック・ロック』が出ている。
少し前に、東京で上映されたのだが、地方に住んでいるものには見ることが叶わなかっただけに、今回のDVD化は素直に嬉しい。
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2014.10.01
第30回 ”The New Wave Of Post Hardcore”

PUNKって云うと、1977年なんだよね。
RAMONESにSEX PISTOLSと云ったバンドのことばかり、日本では語られる。
だけど、2014年の今、まだPUNKは存在しているから、現在進行形のバンドのことをたまには書いておこう。
日本のパンク好きな人たちが全く気にも止めていないようなバンドばかりだけれど、
海外のパンク好きな人たちが注目しているのは、今から書くようなバンドたちだ。
RAMONESにSEX PISTOLSと云ったバンドのことばかり、日本では語られる。
だけど、2014年の今、まだPUNKは存在しているから、現在進行形のバンドのことをたまには書いておこう。
日本のパンク好きな人たちが全く気にも止めていないようなバンドばかりだけれど、
海外のパンク好きな人たちが注目しているのは、今から書くようなバンドたちだ。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.08.31
第29回 ”SCUM ”

DOJOな人ならば、即答で”Napalm Death”です。
それはそれで、大正解です。
しかし、今回は別の話です。
同じタイトルのイギリス映画があるんです。
その映画『SCUM』は、本国イギリスで”X指定”、
その上イギリスのいろいろな媒体の選出するランキングで、
”行き過ぎてしまった映画のシーンTOP10”の第3位になったり、
”気が滅入る陰鬱な映画Top30”の第19位に選ばれたり、
見る前に、見たくなくなるような情報ばかりが入ってくる映画です。
実は、この映画の字幕監修をやりました。
1979年の映画なんですが、いままで一度も日本で上映されていなくて、
今回が初上映の運びとなりました。
それはそれで、大正解です。
しかし、今回は別の話です。
同じタイトルのイギリス映画があるんです。
その映画『SCUM』は、本国イギリスで”X指定”、
その上イギリスのいろいろな媒体の選出するランキングで、
”行き過ぎてしまった映画のシーンTOP10”の第3位になったり、
”気が滅入る陰鬱な映画Top30”の第19位に選ばれたり、
見る前に、見たくなくなるような情報ばかりが入ってくる映画です。
実は、この映画の字幕監修をやりました。
1979年の映画なんですが、いままで一度も日本で上映されていなくて、
今回が初上映の運びとなりました。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.08.01
第28回 ”Oi Oi Oi ”

本当に日本にやってきました。 The Bermondsey Joyriders!!
Fuji Rock Festival 2014、初日のド初発。会場に着くなり、Red Marqueeに直行。
ステージの後ろに、いかしたデザインのバンドロゴが掛かっている。
もうこの段階で”今年のFuji Rock Fesの目的達成”。ああ、なんと単純なこと。
なんたって、Gary J Lamminを1980年にThe Little Roosterで観て以来、久しぶりに見ることが出来た。私にPUNK・SKINHEADS・MODSがクロスオーバーしていることを教えてくれたバンドCock Sparrerの”やんちゃ坊主”が、オヤジになってもロックしている姿を生で確認できるチャンスが巡ってきたのだ。欲を言えば、ライブハウスで観たかったのだが、そんなこと関係ないほど、徹底的にやってくれました。
彼等のライブ・レポートはFuji Rockの正規ホームページ等で見ることが出来るからそちらを見て欲しい。
そのかわり今回は、暑い夏にとどめを刺す、Cock Sparrerのことや、Oiについて、下品にせめていきます。
Fuji Rock Festival 2014、初日のド初発。会場に着くなり、Red Marqueeに直行。
ステージの後ろに、いかしたデザインのバンドロゴが掛かっている。
もうこの段階で”今年のFuji Rock Fesの目的達成”。ああ、なんと単純なこと。
なんたって、Gary J Lamminを1980年にThe Little Roosterで観て以来、久しぶりに見ることが出来た。私にPUNK・SKINHEADS・MODSがクロスオーバーしていることを教えてくれたバンドCock Sparrerの”やんちゃ坊主”が、オヤジになってもロックしている姿を生で確認できるチャンスが巡ってきたのだ。欲を言えば、ライブハウスで観たかったのだが、そんなこと関係ないほど、徹底的にやってくれました。
彼等のライブ・レポートはFuji Rockの正規ホームページ等で見ることが出来るからそちらを見て欲しい。
そのかわり今回は、暑い夏にとどめを刺す、Cock Sparrerのことや、Oiについて、下品にせめていきます。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.07.02
第27回 ”パンクロック・サバイバーズ”

ついに、ついに、我が最愛のCOCK SPARRERの元メンバーが来日します。
1977年のブリティッシュ・パンク・ロックファンの皆さん、今年はFUJI ROCK FESTIVALに行きましょう。
この興奮は、いったいどこからくるのかと言えば、2014年のFuji Rock Festivalのラインナップ発表を見て、
”The Bermondsey Joyriders”の文字を発見!眩暈して卒倒しそうになったところから来ているのです。
1977年のブリティッシュ・パンク・ロックファンの皆さん、今年はFUJI ROCK FESTIVALに行きましょう。
この興奮は、いったいどこからくるのかと言えば、2014年のFuji Rock Festivalのラインナップ発表を見て、
”The Bermondsey Joyriders”の文字を発見!眩暈して卒倒しそうになったところから来ているのです。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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2014.06.02
第26回 ”パンクは怒りの音楽”

1990年代にKornのメンバーが、”パンクはハッピーな音楽”みたいなことを言っていたと思うけど、1980年代の初頭、パンクは怒りの音楽だった。
今日本の政権が行おうとしている政策の先取りをした、”レーガノミックス”で大幅減税と積極的財政政策で”双子の赤字”を生んでいた社会状況に疑問を呈した若者が、パンクの表現を使って全米各地で活動をしていた。
その音の特徴は、The DickiesやStiff Little FingersやBuzzcocksよりも速い音楽ということになる。
代表的なバンドとして、西海岸のBlack Flagや中西部のHusker Du、東海岸のMinor Threatをあげることが出来る。
残念ながら、日本のパンク・ロック・ファンにまだまだ知られていない、良いバンドがたくさんあると思う。
先月のOffendersに続いて、今回も、そのようなバンドの紹介だ。
今日本の政権が行おうとしている政策の先取りをした、”レーガノミックス”で大幅減税と積極的財政政策で”双子の赤字”を生んでいた社会状況に疑問を呈した若者が、パンクの表現を使って全米各地で活動をしていた。
その音の特徴は、The DickiesやStiff Little FingersやBuzzcocksよりも速い音楽ということになる。
代表的なバンドとして、西海岸のBlack Flagや中西部のHusker Du、東海岸のMinor Threatをあげることが出来る。
残念ながら、日本のパンク・ロック・ファンにまだまだ知られていない、良いバンドがたくさんあると思う。
先月のOffendersに続いて、今回も、そのようなバンドの紹介だ。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ
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それぞれのメタル元年 番外編~ブラック・メタル~
2014.04.22
EMPEROR JAPAN TOUR 2014 "IN THE NIGHTSIDE ECLIPSE" 20th ANNIVERSARY
2013.10.23
80年代スラッシュメタル最高速バンドがやって来る!!

川嶋未来氏がEXTREME THE DOJO番外編に出演するWehrmachtへの思いを寄稿してくれました。
知ってる人も知らない人もチェックして損はないと思います。
知ってる人も知らない人もチェックして損はないと思います。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.10.15
最終回 総括 - ブラックメタルとは何であったのか
ブラックメタルというジャンルがどのように生まれ、エクストリームメタルの一ジャンルとして根付いていったかを十回以上に渡り見てきた訳だが、このジャンルが特殊であったポイントは二つ。
まず、音楽そのものではなく、ブラックメタルバンドが犯した犯罪によって大きな脚光を浴びたということ。過去にもメンバーが犯罪を犯したバンドはいくらでもいる。
だが、そのジャンルに属するバンドが一体となり、一国の国民全体を恐怖のどん底に突き落としたというのはブラックメタルが初だろう。
まず、音楽そのものではなく、ブラックメタルバンドが犯した犯罪によって大きな脚光を浴びたということ。過去にもメンバーが犯罪を犯したバンドはいくらでもいる。
だが、そのジャンルに属するバンドが一体となり、一国の国民全体を恐怖のどん底に突き落としたというのはブラックメタルが初だろう。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.09.15
第11回 ブームの終焉は殺人によってもたらされた

メジャー音楽誌Kerrang!に特集されたことにより、ブラックメタル・ブームは過熱。
しかしそれが、ノルウェーのブラックメタル界では思わぬ不和を生み出す結果となった。
MayhemのEuronymousとBurzumのVarg Vikernesの対立。
とは言え、普通ならせいぜい殴り合い程度で終わるところ。
だがこの二人の争いは、行くところまで行ってしまった。
しかしそれが、ノルウェーのブラックメタル界では思わぬ不和を生み出す結果となった。
MayhemのEuronymousとBurzumのVarg Vikernesの対立。
とは言え、普通ならせいぜい殴り合い程度で終わるところ。
だがこの二人の争いは、行くところまで行ってしまった。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.08.19
第10回 ノルウェジアン・ブラックメタル第3の衝撃:Kerrang!によるブラックメタル大特集

極一部のマニアだけが知る存在であったノルウェーのブラックメタルが、表舞台に登場するに至るまでには大きく見て三段階を踏んでいる。
一つ目は1991年、MayhemのヴォーカリストDeadの自殺。同じくMayhemのギタリストEuronymousがDeadの死をきっかけとし、現在のブラックメタルのイメージ・方向性というものを固めたのは間違いない。Euronymousはアンチ・デスメタルを標榜し、自らオープンしたレコード/CDストアHelveteで、若いメタルファンたちの洗脳を開始した。その洗脳の最初の結実とも言える、人気テクニカル・デスメタルバンドDarkthroneのブラックメタル転向が第二段階であり、これにより当時エクストリームメタル界では最も人気のあったデスメタルのファンたちに、ブラックメタルというものの存在を知らしめることになった。
そして第三段階、ブラックメタルを一気にメジャーな存在に押し上げる決定打となった事件。1993年3月、イギリスの音楽誌Kerrang!による突然のブラックメタル特集だ。
一つ目は1991年、MayhemのヴォーカリストDeadの自殺。同じくMayhemのギタリストEuronymousがDeadの死をきっかけとし、現在のブラックメタルのイメージ・方向性というものを固めたのは間違いない。Euronymousはアンチ・デスメタルを標榜し、自らオープンしたレコード/CDストアHelveteで、若いメタルファンたちの洗脳を開始した。その洗脳の最初の結実とも言える、人気テクニカル・デスメタルバンドDarkthroneのブラックメタル転向が第二段階であり、これにより当時エクストリームメタル界では最も人気のあったデスメタルのファンたちに、ブラックメタルというものの存在を知らしめることになった。
そして第三段階、ブラックメタルを一気にメジャーな存在に押し上げる決定打となった事件。1993年3月、イギリスの音楽誌Kerrang!による突然のブラックメタル特集だ。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.07.16
第9回 ノルウェジアン・ブラックメタル第2の衝撃:Darkthroneのブラックメタル転向

Darkthrone、セカンドアルバム"A Blaze in the Northern Sky"リリース。Darkthroneと言えば、当時デスメタル、それもテクニカルなバンドとして名を馳せていた。つまり、ブラックメタルとは対極に位置する存在として認識されていたのだ。
前年の91年にはデビューアルバム"Soulside Journey"を、ハードコア~デスメタルのレーベルとして認知されていたPeaceville Recordsからリリース、メインストリームのデスメタルファンから絶大な支持を受けていた。
そんな彼らがEuronymousに洗脳され、突然白塗りをし、前作とは正反対の作品を発表したのだから、そのインパクトたるや計り知れないものがあった。
前年の91年にはデビューアルバム"Soulside Journey"を、ハードコア~デスメタルのレーベルとして認知されていたPeaceville Recordsからリリース、メインストリームのデスメタルファンから絶大な支持を受けていた。
そんな彼らがEuronymousに洗脳され、突然白塗りをし、前作とは正反対の作品を発表したのだから、そのインパクトたるや計り知れないものがあった。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.06.15
第8回 ~ノルウェジアン・ブラックメタル最初の衝撃:Deadの自殺~

DeadはBathory, SodomやHellhammerのようなイーヴルなバンド、黒Tシャツ、レザー、そして銃弾ベルトを愛していた。
ところが今のシーンは短パンに野球のシューズを履いているような"Life Metal"バンドに占拠されてしまった。
だからDeadは自らの命を絶ったのだ!
ところが今のシーンは短パンに野球のシューズを履いているような"Life Metal"バンドに占拠されてしまった。
だからDeadは自らの命を絶ったのだ!
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.05.15
第7回 ~ブラックメタルはエクストリームメタル史上初、過去の振り返りである~

Bathoryのサードアルバム、87年発表の"Under the Sign of the Black Mark"が、その後のブラックメタルというジャンルの音楽的テンプレートとなったことは前回述べた通り。だが、この名作がリリースされるや否や、クローンやフォロワーが大挙して現れたというわけではなかったところがブラックメタル・ブームの特殊なところだ。
MetallicaやSlayerの出現により、世界中でスラッシュメタルバンドが結成され、スラッシュメタルはあっという間にブームになった。Napalm Deathらに先導されたグラインドコア、Morbid Angel, Entombedらを筆頭にしたフロリダ・スウェーデン勢に端を発したデスメタル、いずれのムーヴメントも、オリジネイターの出現からフォロワーの発生までの時間はわずかだ。
しかしブラックメタルは違う。
MetallicaやSlayerの出現により、世界中でスラッシュメタルバンドが結成され、スラッシュメタルはあっという間にブームになった。Napalm Deathらに先導されたグラインドコア、Morbid Angel, Entombedらを筆頭にしたフロリダ・スウェーデン勢に端を発したデスメタル、いずれのムーヴメントも、オリジネイターの出現からフォロワーの発生までの時間はわずかだ。
しかしブラックメタルは違う。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.04.15
第6回 エクストリームメタルの歴史を変えたアルバム "Under the Sign of the Black Mark"

さて2回に渡り、90年代以降のブラックメタルに影響を与えたバンド・作品を色々と見てきたわけだが、実のところスカンジナヴィア、特にノルウェーにおけるブラックメタルムーヴメントのテンプレートとされた作品は、たった一枚に絞ることができる。
スウェーデンのBathoryによるサードアルバム、"Under the Sign of the Black Mark"だ。
Bathoryは2004年に38歳の若さでこの世を去ってしまったQuorthonによる、ほぼワンマンのバンド。
"Under the Sign of the Black Mark"は1987年にリリースされ、その当時はまだブラックメタルという概念が一般的でなかったため、普通にスラッシュメタルの一枚として扱われていた。
だが実際は、90年代ブラックメタルの完成形がそこに提示されているのである。
スウェーデンのBathoryによるサードアルバム、"Under the Sign of the Black Mark"だ。
Bathoryは2004年に38歳の若さでこの世を去ってしまったQuorthonによる、ほぼワンマンのバンド。
"Under the Sign of the Black Mark"は1987年にリリースされ、その当時はまだブラックメタルという概念が一般的でなかったため、普通にスラッシュメタルの一枚として扱われていた。
だが実際は、90年代ブラックメタルの完成形がそこに提示されているのである。
CREDIT: Sigh 川嶋
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2013.03.15
第5回 ~偏狭すぎる80年代南米・北米スラッシュディスクガイド~

ビッグ4を筆頭に、「健全な」スラッシュメタルが人気を集めていた北米は、後のブラックメタルへの影響は希薄であったが、中南米となると話はまったく別。
気候的には対極にあるであろうスカンジナヴィアのミュージシャンたちの興味をそそるイーヴルで滅茶苦茶なバンドが、何故か80年代の中南米にはたくさんいた。
そして80年代後半、北米・ヨーロッパのシーンがどんどん健全化していく中、中南米のシーンは何故か時代から取り残され、邪悪なメタルを好む者たちにとっては最後の楽園的な様相を呈していたのだ。
気候的には対極にあるであろうスカンジナヴィアのミュージシャンたちの興味をそそるイーヴルで滅茶苦茶なバンドが、何故か80年代の中南米にはたくさんいた。
そして80年代後半、北米・ヨーロッパのシーンがどんどん健全化していく中、中南米のシーンは何故か時代から取り残され、邪悪なメタルを好む者たちにとっては最後の楽園的な様相を呈していたのだ。
CREDIT: Sigh 川嶋
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