Speak Off the Cuff ! | EXTREME TEH DOJO

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馬の耳に念仏

2013.06.01(土)

第14回 ”パンク”日本上陸はいつ?

「同じ革ジャンを着ているヤツがいたら、俺は革ジャンを捨てるね。」
パンク野郎について初期の情報はこんな感じだった。

現在使われている”パンク”はいつ日本に上陸したんだろう?
1975年か1976年のどちらの年に上陸したんだろう?

当時のメジャーな音楽雑誌を読み返せば、時期がある程度特定できるのではないか?

パンクと接点のありそうなのは、パティ・スミスと同じアパートに住んでいた、水上はるこさんが編集長の”ミュージック・ライフ”だろうと見当をつけてはいたが、イギリスのプログレ特集が多かった”音楽専科”にひょっとして載っているかもしれないし、アメリカの西海岸ロックに強い”ニュー・ミュージック・マガジン”かも知れないなあという、何とも曖昧な記憶をもとに、本を持っている地元の先輩に頼んで、ミュージック・ライフ、音楽専科、ニュー・ミュージック・マガジンの3誌を1975年と1976年の2年間、読み返した。

MUSIC LIFE 1976年8月号
ファイル 21-1.jpg

まだ、ニューヨーク・アンダーグラウンドの表記
予想通り、やっぱりこの時期ニューヨークのロック事情を一番詳しくレポートしていたのはミュージック・ライフだった。
水上はるこさんが、76年8月号で、
「場末のクラブ「CBGB」を埋めた150人の観客を総立ちさせた
人気アンダーグラウンド・バンド、テレビジョン」
とテレビジョンを写真入りで紹介していた。
まだこの時点では、”パンク”という名称は使っていない。
あくまでも、ニューヨークのアンダーグラウンド・ロックという感じだ。

そして、76年10月号で遂に、”パンク”が登場している!
東郷かおる子さんが、バンド紹介で使っている。

「この辺のグループの音をパンク・ロック(PUNK ROCK)というそうな。
アメリカさんやイギリスさんでは。」
バンド名もあげていて、ラモーンズ、パティ・スミス・バンド、、テレビジョン、ハートブレイカーズ。
”メロディー・メイカー”紙のパンク特集を参考に、イギリスのバンドの名前も挙げている。
「イギリスのパンク・バンドはザ・セックス・ピストルズ(すごい名前)、ザ・クラッシュ、バズフックス、エディー&ザ・ホット・ロッズ、スローター&ザ・ドッグスなんていうのがいるらしいが、まだレコードを全部聞いたわけじゃないので、正体はわからん。」
と紹介。
76年9月20日~21日の”100 CLUB PUNK FESTIVAL”より前に、この記事が日本で書かれていたことは驚きだ!
レコードどころかライブもそれほどやっていない、マンチェスターのBuzzcocksとSlaughter & The Dogsの名前が、日本で76年9月末に出ているのだ。

そして、76年10月25日、『ラモーンズの激情』が日本発売。
76年11月号、ここで一気に”パンク”は音楽誌に乗っかる。
ミュージック・ライフは、グラビア2ページにわたり”本邦初登場”と「パンク・ロックの人気グループを大紹介」している。
載っているのは、パティ・スミス&ハー・バンド、トーキング・ヘッズ、タフ・ダーツ、ウエイン・カウンティ、ブロンディー、リチャード・ヘル。
写真はRoberta BayleyとBob Gruenだし、今読み直すと、短いコメントも的確だ。
まだ、イギリスのパンク・バンドは名前は分かったけど正体不明状態。

冒頭に書いた言葉は、この時期の週刊誌に載っていたと思う。
何しろ、新しい”若者文化”として、日本上陸したわけだ。
まあ、”パンク”に統一されていたわけじゃなく、”ポンク”だったり”プンク”だったりしていたような記憶がある。
同じような記憶が、ガーリック・ボーイズのラリーと話をしていたら出てきたから、さほど間違っていないと思う。

大貫憲章さんが、76年の夏、イギリスとフランスで”生のパンク”を経験してきたことで、より発信が増えたことも一因だろう。
当時、NHKラジオ第一放送の”若いこだま”土曜日で、パンクを紹介しまくって、定着させていった。
私も、その影響を受けた一人だ。

1976年10月末にラモーンズが日本発売されたというタイミングも、今から考えると絶妙だ。
The Damned「New Rose / Help」がイギリスのパンク・バンドとして最初のリリースをしたのが、10月末。
Sex Pistols「Anarchy In The UK」は11月。
ちょうど、イギリスのパンク・バンド登場直前なのだ。
シングル盤を聞くことは、ほとんど無い時期で、アルバム待ちの状態だったので、この時点で、聞くことが出来たイギリスのバンドは、Dr.Feelgoodだけ。
ラモーンズとDr.Feelgoodだったら、両者とも、60年代前半のブリティッシュ・ロック・バンドの影響が強いため違和感無く聞くことが出来る。
ラモーンズはハーマンズ・ハーミッツとデイブ・クラーク・ファイブ。
Dr.Feelgoodはヤードバーズにアニマルズとローリング・ストーンズ。
ここは、大きなポイントだと思う。

もし、The Damnedが同じように聞くことが出来たら、ちょっと違っていただろうな。
何しろ、ブリティッシュ・ロックの流れで聴くと違和感があり、”パンク”として独立したものだから。
1977年6月にThe Damned『地獄に堕ちた野郎ども』が日本発売されたのは、タイミングが良かったと思う。
その理由は、これから何回かに分けて書いていきたい。

音楽専科 1976年11月号
ファイル 21-2.jpg

大貫さん、パンクを熱く語る
”音楽専科”76年11月号の座談会における大貫憲章さんの発言内容は、私のその後、パンクに接するときのベースとなった。
「パンクはロックを含めた広い分野にまたがる新しい若者文化の芽生えなのだ、ロックはすべてじゃない。」
「ライブハウスで聞くっていうか、ライブハウスそのものがパンクだと思うね。」
「パンクは単にロック現象というだけではなく、ファッションとかの風俗的な諸要素を内包し、それこそ、ひとつの新しい若者文化の総体としてとらえれるのだ。このへんが、過去のグラム・ロックあたりと一線を画すパンクの重要な部分ではないかとぼくは考えている。」

ほぼ同じ時期に、間章は「パンク・ロック論のための覚書」で”現在進行形のパンク・ロック”の接し方を、ラジオ番組や雑誌とレコードの解説で、大貫さんは”パンク”に対する考え方を、発信していたのだ。

日本に”パンク”はこうやって上陸してきた。
それにしても、ある日突然にやってきたような感じだ。
当時、何の疑問も無く受け入れていたから、不思議でしょうがない。

あっ!思い出した。
ちょうどこの頃、シティー・ボーイの本「POPEYE」が出てきたんだ。
手元に無いので確認出来ないが、この本も、早い時期から”パンク”を取り上げていたはず。

CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ

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