Bathoryの"Under the Sign of the Black Mark"リリースから4年後のことである。
その4年間、BathoryやHellhammerと言ったイーヴルなイメージを持つスラッシュメタルバンドは、時代錯誤と無視されてきた。
そしてMayhemのギタリストEuronymousがDeadの死を受け、「アンチ・メインストリーム・デスメタル」、「イーヴル・スラッシュメタル復興」の狼煙を上げても、そう簡単に時代は変わらなかった。
91年のエクストリームメタル界を見てみると、GraveやUnleashedと言ったスウェディッシュ・デスメタルバンドがデビュー。
Entombedがセカンドアルバムを、CarcassがサードアルバムをEarache Recordsからリリース。
まだまだデスメタル全盛期であったことが、容易に窺える。
さらに同じくEaracheからはCathedralがデビュー。
こちらはNapalm Deathという世界最速バンドのヴォーカリストが世界最遅のバンドを始めたということで大きな話題となり、ドゥームメタルが注目を集めるきっかけとなった。
この時点では、少なくともメインストリームにおいて、いまだブラックメタルが台頭してくる様子は見えていない。
つまりは80年代のスラッシュメタルが復権を果たすには、まだいくつかの燃料投下が必要だったのだ。
もちろん91年にブラックメタル界で何も起こっていなかったというわけではない。
あくまで、まだまだアンダーグラウンドなムーヴメントでしかなかったというだけだ。
Deadの死とともに、ブラックメタル・ムーヴメント勃興の一つの下地となったのが、Helvete(ノルウェー語で地獄の意)の開店である。
Euronymousがオスロで始めたこのレコード/CDショップは、ノルウェーの若いエクストリームメタルファンの溜まり場となり、デスメタル・グラインドコアしか知らない子供たちを邪悪なブラックメタラーに洗脳する場となったのだ。
実際、後に名を成したノルウェーのブラックメタルバンドの多くが、実はゴリゴリのデスメタルバンドとしてそのキャリアをスタートしている。
Emperorの母体はThou Shalt Sufferであるし、ImmortalもやはりAmputationとOld Funeralという二つのデスメタルバンドから生まれた。
あのBurzumのVargですら、Old Funeralのメンバーであった。
Old Funeralのファーストデモのタイトルは、"Fart That Should Not Be" = 「存在すべきでない屁」。
ブラックメタルの邪悪なイメージとは程遠い。
さらにアンチ・デスメタル、アンチ・ハードコアパンク・ムーヴメントの立役者であるEuronymousですら、実はデスメタルやグラインドコア、ハードコアが大好きであったという証言もある。
確かに87年リリースのMayhemのEP、"Deathcrush"を聞いてみると、ハードコアパンクからの影響も十分に聞き取れる。
Euronymousの80年代スラッシュメタルへの愛は本物であっただろう。
だが、メインストリームのデスメタルに対する挑戦状には、多分に戦略的な要素も含まれていたに違いないのだ。
いずれにせよブラックメタル・ムーヴメント爆発の下準備は淡々と、しかし着実に行われていたのである。
Darkthrone / A Blaze in the Northern Sky
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テクニカルデスメタルバンドが突如ブラックメタルに
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Darkthrone洗脳前
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Darkthrone洗脳後Euronymousと
そんなEuronymousによる「洗脳」が結実したのが翌92年。ファイル 24-3.jpg
テクニカルデスメタルバンドが突如ブラックメタルに
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Darkthrone洗脳前
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Darkthrone洗脳後Euronymousと
この年、ついにブラックメタルがメインストリームのデスメタルの土台を揺るがす出来事が起こる。
Darkthrone、セカンドアルバム"A Blaze in the Northern Sky"リリース。
Darkthroneと言えば、当時デスメタル、それもテクニカルなバンドとして名を馳せていた。
つまり、ブラックメタルとは対極に位置する存在として認識されていたのだ。
前年の91年にはデビューアルバム"Soulside Journey"を、ハードコア~デスメタルのレーベルとして認知されていたPeaceville Recordsからリリース、メインストリームのデスメタルファンから絶大な支持を受けていた。
そんな彼らがEuronymousに洗脳され、突然白塗りをし、前作とは正反対の作品を発表したのだから、そのインパクトたるや計り知れないものがあった。
前作とは正反対。
すなわち(へヴィさを追求するデスメタルとは逆の)高音が強調されたギターとヴォーカル、単調なドラミング、劣悪な音質。
これはBathoryの"Under the Sign of the Black Mark"の世界そのまま。
DarkthroneがBathoryをお手本にしたのは明らかである。
リリースから5年、Bathoryの美学が認められる時が、ついにやって来たのだ!
Euronymousの頭の中は、常に斬新なアイデアで溢れかえっていた。
彼は確実にアイデアマンであった。だがブラックメタルを世に問うにあたり、彼には決定的に欠けているものがあった。
資金である。
彼はHelveteだけでなく、Deathlike Silence Productionsというレーベルもやっていたのだが、常にお金には悩まされていたようだ。
インターネットもなかった当時、Euronymousとのやりとりは国際電話だったのだが、Helveteの電話はしょっちゅう料金未払いで止められていた。
だがPeaceville Recordsは違う。
エクストリームメタルの世界では大手に属するレーベル。
流通網も整備され、宣伝力も十分。
果たしてDarkthroneの"A Blaze in the Northern Sky"は、「こんなアルバムがアリなのか!」と世界中のエクストリームメタルファンを驚愕させ、ブラックメタルの存在を世に知らしめるに至ったのである。
CREDIT: Sigh 川嶋