遂に、ロンドン・パンクの音が聴けるようになってきた。
分かってきたことは、ロンドン・パンクはシングル盤中心であること。
しかし、シングル盤がメインと云われても、どうやって手に入れたら良いのか分からず、東京に高速バスで行って、新宿の”新宿レコード”や”シスコ”、下北沢の”五番街”で探すしか手は無かった。
その上、欲しいシングル盤はほとんど売り切れで、困り果てていた。
こうなると、徹底的にラジオのエアーチェックだ。
大貫憲章さんの番組「若いこだま」を中心に、ありとあらゆる洋楽ものの番組をチェックしまくった。
不思議なもので、こちらの熱意があると、60分のカセットテープがすぐに出来上がってしまう。
1977年の夏は、録音したテープを聞き返す日々だった。
Chelsea、The Golliras、The Cortinas、The Boys、The Jam、The Vibrators、The Saints、The Radiators From Space、Eater、Generation X等々、今考えると不思議なほど色んなバンドが放送されていた。
Generation Xに至っては、BBCセッションだった。
そんな具合で、出来上がったカセットテープの中で一番のお気に入りは、「1977 / The Clash」だ。
The Clashの「1977」はこの年のパンク・アンセムだった。
アルバム『白い暴動 / The Clash』が日本で発売される直前、The Clashとの出会いがこの曲からというのも、今考えると運が良かった。
”エルビスもビートルズもローリング・ストーンズも要らない、いまは1977年なんだぜ!”と叫んでいるようにしか聴くことが出来ないこの曲は、古くさいロックと決別しているようで気持ちがよかった。
乗っけの、暗く沈んみ歪んだギターの音で頭を鈍器で殴られたような気分。
The Kinksの「All Day And All OF The Night 」のパクリじゃないかといった指摘も、この音の前では全くもって力を持たない。今まで知っていた、まともなロックとは次元が違う。
簡潔にして明瞭かつ斬新。
長ったらしいギターソロや、複雑な曲の展開も無い。
スカスカの音なのに、もの凄い力で、ズッバと”いまは1977年なんだぜ!”と切り捨てている。
この瞬間を切り取った”1977年、パンク宣言”によって、同じようにパンクになった奴が世界中に非常に沢山いたはずだ。
僕らの世代(昭和30年代産まれ)にとって、The BeatlesやJimi Hendrixは、”お兄さん、お姉さん”の音楽として、一緒に聴いていた音楽だったから、パンク登場で自分たちの世代の”新しいもの”を遂に手に入れたような気分があったことも確かだ。
『白い暴動』これ聴かずして死ねるか!
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ジャケット裏面
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Paul Simonon 彩色が格好良いベースギター
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Paul Simonon こちらも格好良いベースギター
「1977」を聴いて、The Clash最高!って興奮のまっただ中、『白い暴動』が日本発売。ファイル 27-3.jpg
ジャケット裏面
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Paul Simonon 彩色が格好良いベースギター
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Paul Simonon こちらも格好良いベースギター
この時、Sex Pistolsは「God Save The Queen」のB面曲「Did You Know Wrong」しかラジオでオンエアーされていなかった。
アルバム『白い暴動 / The Clash』の魅力は、痩せこけた攻撃的な音だ。
それは、骨・皮・筋しかない、これが精一杯といった感じがする音だ(Sniffin' Glueの第9号で、Mark Pは”The Clashは真実を語る”という締めの言葉で、最大級の賛辞を贈っている)。
Joe Strummerのパプロック上がりの”がなる”歌い方と、カッティング中心のギター。
Paul Simononのレゲエ(”レガエ”ってthe原爆オナニーズのEddieはいまでも言うけどね)的な飛び跳ねるようなベースの音も特徴と言える。
Mick Jonesのギターの音も、このアルバム発売後に出たシングル「Complete Control」以降は、恰幅の良い重厚なロック的な音づくりになるが、この時点では、ガリガリな音だ。
シンプルこの上ないTerry Chimesのドラムも効果的だ。
B面の4曲目にレゲエのカバー「PoliceAnd Thieves」が入っていることも大きなポイントだ。
1977年、日本から出たことの無かった私は、この曲が全く理解できなかった。
正直、この曲を飛ばしてアルバムを聴く毎日だった。
レゲエとパンクが繋がっていることを示しているのだが、パンクに夢中で、ダンス音楽としてのレゲエを知るまで、レゲエは目・耳に入らなかった。
恐らく、この曲の魅力を理解できた人が、熱心なThe Clashファンになるんだろう。
ロックの範疇からはみ出た、Paul Simononの醸し出す独特なリズム感覚が、このアルバムを聴く上でのポイントの一つだ。
The Damnedはロンドンの不良ロックのPink FairiesやHawkwindを始め、プロトパンクのThe StoogesやNew York Dollsを踏襲、色づけをした。
Sex PistolsもThe Who、Small Faces等、過去のロックを題材にしている。
それに対しThe Clashはレゲエだ。
土壌の違いが、この3つのバンドの行く道の違いを表している。
もっとも、音楽的な相違なんて、パンクに夢中だった1977年に気が付く筈も無く、”古くっさいロックに対抗するもの”として、全部無条件で受け入れていた。
何たって、「白い暴動」で「ロンドンは燃えている」んだから。
パンクに興味の無い人が、Fleetwood Macの「Dreams」やManfred Mann's Earth Bandの「Blinded By The Light」が心地よくラジオから流れる時に、The Clashを聴いてしまったらどうなるか。
好きになるか嫌いになるかのどちらかだ。
ロックファンの多くは、The Clashをヘタクソなバンドと見做し、嫌った。
”ベース弾けていないじゃん”とか、”単調なんだよね”と言った具合で、”どこが良いのか分からない”と言われた。
いや、”ヘタクソなところ”や”単純なところ”に魅力を感じているものとしては、”なんで分からないの?”と言うしか無かった。
まあ、TheDamnedにしても、”リズムキープが出来ていない”とか、否定的なことを散々言われたもんだ。
パンク・ロックの魅力は、最低限の演奏能力すら持ち合わせていない奴らが、自分のやりたいことを頭の中で描き、それをありったけの表現方法で提示するところにある。
技術でカバーすべきところを、発想と心意気でカバー。
何とも言えない焦燥感が出発点になっている。
これは、ロックンロールの基本と全く同じだ。
いつの間にか、暇つぶしや金儲けの手段になってしまったロックンロールを”自分たちの手に取り戻す”当たり前のムーブメントだ。
音楽的な部分で評価したいのであれば、別にパンク・ロックなんて聴く必要は全くない。
それこそ『Aja』を聴いて、涙していればいい
(そういえば、『Aja』のレコードジャケットのモデル、山口小夜子は1977年に一番興味のあることは?という質問に”パンク”って答えていた)。
現在から振り返る1977年の音楽といえば”パンク台頭”みたいになるけど、実際はBee Geesのディスコ音楽が流行っていて、音楽雑誌はKISSにBay City Rollersだった。
Eagles、Fleetwood MacやSteely Danを聴いていないと格好悪いような時で、日本ではJackson Brownを始め”ウエストコースト・ロック”が流行っていた。
どの友達の部屋に行ってもファラ・フォーセットの写真が貼ってあって、底の厚いビーチサンダルをはいて、アロハシャツの時代だ。
そのような時に、パンクに夢中だった私は、超短髪、足下は革靴、夏でもジャケット着用。もちろん安全ピンと鎖も装着。
はっきり言って、かなり変な人だったが、周りのサーファー友達は普通に受け入れてくれていたから、なんともおかしな時代だった。
1977年8月17日、とんでもないニュースが入ってきた。
”エルヴィス死す”。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ