”エルビスもビートルズもローリング・ストーンズも要らない、いまは1977年なんだぜ!”
まさにその通りになってしまった。
エルビスが亡くなった時、毎日聴いていたのは『THE ROXY LONDON WC2 ( Jan - Apr 1977)』。
Slaughter And The Dogs、The Unwanted、Wire、The Adverts、Johnny Moped、Eater、X-Ray Spex、Buzzcocksを何度も何度も繰り返し、むさぼるように聴いていた。
音と同時に、アルバムジャケットの写真を、ひとつひとつ、それこそ穴があきそうになるように凝視していた。
今なら、You TubeやDVD等で、動く姿を”カラー”で見ることが出来るが、1977年の夏は、何しろ情報が無かった。
服の破き方、安全ピンの刺し方、髪の毛の立て方、チェインの並べ方、等々、目の粗い白黒写真を見つめては、パンクのファッション・スタイルを考えていた。
”POGO”が流行っているらしい、と聞いて、”POGOって何だ?”と調べる日々。
ピョンピョンと垂直に飛び跳ねることらしいと判った時に、パンクにぴったりの踊り方だなあと妙な納得をしたもんだ。
Sidが周りの奴らを威嚇するために始めたなんていうことは、かなり後になって判ったことだった(まだ、Sidが生きている当時だけどね)。
ちょうど、この頃かな、朝日新聞が”パンク・ロック燃える 無策のジョンブルのハラワタえぐる”という海外特派員の記事を掲載したのは。
直接パンクでは無いけど、NHKの番組で1977年8月13日に起こったLewisham Riotの報道をしたのも、記憶に残っている。この時にBGMでかかったパンクな曲の衝撃も凄かった(未だに何か判らないので、知っている人、教えて下さい)。
ふたつの報道で、音楽として接していたパンクが、なんか違う物になってきた。
一つは、若者の失業問題。
もう一つは、差別問題。この辺りは、今の日本が直面する問題と同じだから、35年イギリスは先行していた。
以前にも書いたように、パンクは学校を出ても仕事にありつけない若者達が暇(Boredom)つぶしにやるものだったから、Dole Que(失業保険を貰う列) Rockと言われていたのだ。
※BBCで放送されたPunk Britanniaシリーズは必見です。
日本で放送してくれないかなあ。
映画では『Punk Rock Movie』と『DOA』を見るとパンクの時代がよく分かります。
パンクをNew Waveと呼ぶようになったのも、この頃からだ。
日本ではPUNK=NEW WAVEとなるのだが、イギリスではPUNKとNEW WAVEは別物です。
NEW WAVEは、PUNKを売るためにパッケージしやすくするための道具(手法)です。
簡単な例は、Elvis CostelloはNew WaveだけどPunkじゃないです。XTCも同じ。
この辺りは、当コラムの第4回・第5回と重複する部分が多いと思うが、寛容に受け止めて下さい。
1977年9月初旬、遂にSex Pistolsが日本発売された。
電車とバスの乗り換え時間に毎日レコード店に通っていたので、発売と同時に手に入れた。
でも、シングル盤のジャケットが知っているものと違うので、がっかりしたことをはっきり覚えています。
とは言っても、聴くことの出来なかった「God Save The Queen」を遂に聴くことが出来た喜びのほうが勝っていたことは言うに及びません。
今でこそ、歌詞をスラスラ言えるのですが、当時しっかり聞き取ることが出来ず、なんとかして、歌詞の全内容を知りたいと、悶々としていました。
2013年の耳で聴くと、多分にハードロックぽかったり、グラムロックの匂いを感じてしまうのですが、1977年の9月にこのシングルを手に入れた時、あまりの格好よさに打ちのめされたもんです。
夢のような絵空事の歌詞ではなく、ストレートで感じたままの言葉を使っているところ、”No Future”と言う言葉に、共感したもんです。
そして、11月初旬、遂にSex Pistolsのアルバムが登場します。
日本盤のタイトルは『勝手にしやがれ』。
我が部屋のポスターはこの秋、Eaterになっていました。
今年は、凄いアルバムが多すぎる!
Touche Amore / Is Survived By
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Touche Amore 一見普通のお兄さん
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ライブは激ハードコア炸裂
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当たり年、将にそんな感じ。ファイル 29-9.jpg
Touche Amore 一見普通のお兄さん
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ライブは激ハードコア炸裂
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1973年に『Raw Power / Iggy And The Stooges』、『Berlin / Lou Reed』、『New York Dolls』、『Aladdin Sane / David Bowie』が、1983年に『Rock For Right / Bad Brains』、『Out Of Step / Minor Threat』、『Suicidal Tendencies』、『Metal Circus / Husker Du』があるように、ロック10年周期説(そんなものあるのかなあ?)で今年は、当たり年になる。
その説を信じると、『Sunbather / Deafheaven』、『Fidlar』、『Light Up Gold / Parquet Courts』と、10年後に聴いているような作品に今年は出会っている。
そして、今年の2月に待望(奇跡)の来日ライブを観たTouche Amore(トゥーシェ・モーレ)の3rdアルバム『Is Survived By』が9月にリリースされた。
『…To The Beat Of A Dead Horse(2009,6131)』、『Parting the Sea Between Brightness And Me(2011,Deathwish)』に続く作品だ。
彼らは、アメリカはカルフォルニア州の5人組で2007年に結成。
このバンドを知ったのは、2ndアルバムのオープニング「~」をBBCのラジオ番組で偶然聴いたこと。
FugaziやQuicksandを初めて耳にしたときのような、余分なものを取り除いたインディー・ロック特有の肌触り、ヒリヒリした感覚が身体を貫いた。
安易な方法、単純な再生産を拒絶し、前進する姿を、彼らの音から感じ取った。
今回のアルバムは、プロデューサーにSunny Day Real Estate、Smashing Pumpkinsも手がけているBrad Woodを迎え、12曲を収録。基本的には、全2作と同じなのだが、瞬発的な爆発力が増している。
一つの曲の中でめまぐるしく変化していく様は、前作の「Home Away From Here」で完成されたと思っていたのだが、5曲目に入っている「DNA」でより進歩している。
今までは、一曲の長さが2分に満たない曲ばかりだったが、今回は3分を超える曲が4曲もある。
「Non Fiction」のように、Mogwaiを思い起させるような紡ぐギターの音で始まるものもある。
彼らの素晴らしさは、良質なギターサウンドに彩どられ、緩急自在なドラムスとベースと一体になり感性を最大限に引き出すヴォーカルが加わると、Touche Amoreになる。パーツの一つが欠けたら存在出来ないほど、混ざりあっているところだ。
現在進行形かつ変幻自在するエモーショナル・ハードコア・パンクロックはこういうものを指すんだ。
どうしても、日本のリスナーは、ハードコア・パンクロックというと、1980年代のDischargeやBlack Flagに代表されるバンドをすぐに思い出すのだが、パンクロックは常に進化していることを忘れないで欲しい。
今ライブを見ることの出来る素晴らしいバンドが海外、日本国内ともに沢山いるんだ。
古いアルバムの再発でボーナストラック目当てにお金を出すよりも、聞いたことのないような新しいバンドにお金を出すほうが楽しいと思うな。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ