その言葉から連想するのは、WireやSubway Sectなんだけど、パンクがポスト・パンクに突入する1978年に焦点をあてると思いもよらないバンドが同じアプローチをしていた事に気が付く。
1977年の時点で既に人気のあったパンクバンドでレコードを出していないバンドが3つあった。
一つはSiouxsie And The Banshees。
一つはThe Slits。
もう一つが、ADAM AND THE ANTS。
ADAM AND THE ANTS。
現在、日本のパンクマニアに評価が低いバンドだ。
後追いでパンクを研究している人には、全くピンとこないかもしれない。
どうしてだろう?
マルコム・マクラーレンに魂を売って”海賊ファッション”と”アフリカン・ビート”に身を投じたからだろうな。
では、変化前のADAM AND THE ANTSはどうだったんだろう。
はっきり言って、1977年~1979年までは、ハードコアなパンクスの一番のお気に入りバンドだった。
革ジャンにADAM AND THE ANTS(以下ANTSと略す)って書いている奴は、ハードコアなパンクスばかりだった。
ANTSがなぜ重要なバンドなのか?
それは、Post Punkへのミッシングリンクとなるバンドだからだ。
Post Punkの最初のバンドが”MAGAZINE”と言われているのは反論する気はないけど、ANTSは結成当初のメンバーがMonochrome Setに移行して、オルタナティブ(パンクは元々オルタナティブだったけどね)な音楽シーンを形成したりするから、彼らの事を気に留めておいても良いのではないだろうか。
今から話を進めるANTSは海賊ファッションになる前だ。
ANTSのフライヤー
そもそも、ANTSをどうやって知ったのか、あまり記憶がない。
映画『ジュビリー』で見たことかな?、いやもっと前のはずだ。
セディショナリーズのジョーダンがAdam Antと一緒に歌っている写真を見たことかな?
凄く興味があって、追っかけたというような記憶は全く無い。
それなのに、次第に気になるバンドになって行った。
それは彼らにイメージ戦略が有ったからだ。
今では当たり前のような感じのする、マーケティング戦略を彼らは、ごく初期から行っていたのだ。
ANTSは、”ANTS MUSIC FOR SEX PEOPLE”というスローガンを掲げていて、フライヤーやTシャツに刷り込んでいて格好良かった。
そのフライヤーは、SMやエロを題材に既成概念から外れたコラージュがフォトコピーで作られていて、文字のレイアウトも独特な視覚効果を狙っていた。
それまでのバンド名とバンドの写真を使った”チラシ”とは違い、主義主張をアピールするこのフライヤーの作り方は、アメリカのバンドを始め世界中のパンクバンドに直接・間接的な影響を与えていると思う。
ファンの名称も”ANT PEOPLE”といった具合で、独自の世界を作り上げていた。
音楽は、当時イギリスで雨後のタケノコのように出現していたRamonesタイプのスリーコードのロックンロールで欲求不満を爆発させるタイプのものではなく、どちらかと言えばThe Velvet UndergroundやDavid Bowieの影響下にあるアングラ臭がプンプンするものだった。1978年のBBCセッション音源では、Wireを少しポップにしたかのような、彼ら特有の音を聴くことが出来る。
じめじめ・ドロドロした渦巻くような混沌を上手く表現しているところが、当時の真摯なパンクスに強烈にアピールしていたはずだ。
と言うものの、私は1978年の秋にリリースされた、彼らのファーストシングル「Young Parisians / Lady」を初めて聴いたときは、正直ビックリした。
ストレートなパンクのB面「Lady」は、ANTSファンの友達に聞いていた通りの曲でお気に入りになったが、A面はおしゃれな感じが全面に出ており、同時に手に入れたPiLのデビューシングルは素直に理解出来たけど、ANTSは”変なの”っていう感じだった。
この”変なの”がこの直後に襲って来る、Post Punkの第一波だったのだ。
ANTSのシングル・リリースの直後からScritti Politti、Monochrome Setといった”変なの”が出回りだした。
ANTSのファースト・アルバム
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DIRK WEARS WHITE SOX
ファースト・アルバム時のメンバー ファイル 35-13.jpg
AdamとAndy
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今AndyはThe Monochrome Setのメンバーとして活躍中
ANTSのファースト・アルバムはあまりにもリリースが遅かった。ファイル 35-12.jpg
DIRK WEARS WHITE SOX
ファースト・アルバム時のメンバー ファイル 35-13.jpg
AdamとAndy
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今AndyはThe Monochrome Setのメンバーとして活躍中
遅いと思っていたSiouxsie & The Bansheesの『The Scream』だって、1978年11月。
初期のパンクから音楽性を変えたThe Slitsの『Cut』にしても、1979年9月だ。
ANTSのアルバムは1979年11月まで待たないといけなかった。
Do Itレーベルから出た、『Dirk Wears White Sox』とタイトルのついた白黒ジャケットが印象的なこの作品は、初期の彼らの魅力が詰まっている。
何と言っても、Andy Warrenのベースが、直線的ではない、ねじれた独特の味を出している。
後にANTSの初期メンバーと一緒にMonochrome Setで活躍していることからも分かるように、リズムをキープすると云うよりは音を主張して存在している。
感じとしてSiouxsie & The BansheesのSteve Severinが近いかな。
Matthew Ashmanのギターは、後にBow Wow Wowで聞くことの出来るキラキラした感じではなく、初期The CureのRobert Smithと同じモノクロな音だ。
Dave Berbeのドラムも飛び跳ねるような躍動感はない。
その代わりずっしりと重たいビートを刻んでいる。
このようなバンドサウンドにAdam Antの中性的な声が乗っかると、”ANTS MUSIC”が出来上がる訳だ。
音を詰め込まない、スカスカなのに音がはっきりしている、空間を大切にした音像がそこにある。
全11曲入っている、海賊ファッション以降のAdam And The Antsとは全く違う、イギリスのアンダーグラウンド・サウンドに満ちあふれた、このアルバムは、当然、当時のパンクスに受け入れられたし、多くのフォロワーを作って行った。
「Animals And Men」では、この時期のスローガンになるような”Futurist Manifest”を連呼している。
『Dirk Wears White Sox』リリース後にメンバーが一新されて、海賊ファッションに突入するのだが、このアルバムだけはPost Punkに突入する時期の”最初の最後”の作品として聴くことが出来る。
Rough Tradeからシングル盤を連発していた頃のThe Monochrome Setが好きな人、Post Card RecordsやFast Productsが好きな人。
今のバンドならSavagesやMilk Music、Diivあたりが好きな人に聴いてもらえると良いな。 私は、ANTSを聴くと、ついついQueens Of The Stone Ageの『・・・Like Clockwork』やDischordのアルバムを手許に持って来ちゃうんだけどね。
”こんなのパンク?”っていうくらい、それまでのロックとはかけ離れたものもPost Punkに入ってくる。
ドラムマシーンにノイズで成立するんだから。
Post Punkは、”自分のやりたい音楽を自分のやりかたで表現する”。
ここに終結出来るはずだ。
これは面白いことに、アイアン・メイデンのスティーブ・ハリスの「自分の聴きたい音楽が身の回りになかったから、自分でやった」という発言と同じなのは、この時期のイギリスの若者が同じ発想で違った表現を模索していたと考えていいと思う。
まあ、日本に居ても同じだったから、世界中の若者が同じだったと考えても良いのではないかな。
Punkの出現を切っ掛けに、”オレは、オレでいい”と云う考えが一気に広まったのだ。
”緊急付録” Uncle Acid And The Deadbeats
昨年の夏、イギリスのレディング・フェスティバルでUncle Acid And The Deadbeatsを観て来た。最前列で、柵に捕まって頭を振って踊り狂っていたので、終演後に周りの奴らと”イェーィ・ロックだぜ”と興奮していたこと以外、細かいことは何にも覚えていない。
このバンドを見て、”ああだ、こうだと”訳知り顔なことをする意味はないと思う。
それにしても、強烈な印象はこと細かく覚えているから、その辺りを書いてみよう。
先ず、イギリスのレディング・フェスティバルといってもピンと来ない人が多いだろうからフェスティバルのことを。
1961年にロンドン郊外のリッチモンドで行われた「National Jazz Festival」がその始まりで、1962年からは「National Jazz & Blues Festival」に名称を変えている。
1963年には、”新人バンド”The Rolling Stonesも出ている。1960年代に出演した主なロック・バンドを紹介すると、Manfred Mann、The Who、The Yardbirds、Cream(デビューライブ)、Fleetwood Mac、Deep Purple、Arther Brown、Jethro Tull、Pink Floyd、Soft Machineといった錚々たるメンツで、まさにブリティッシュ・ロックの祭典なのだ。
1971年から場所をレディングに定着させて開催されるようになって、1980年代に2年間休止したものの、世界でもっとも長く続いているロック・フェスティバルだ。
私は大貫憲章さんが1973年に観に行った時のレポートで、このフェスティバルを知り、一度は行ってみたいと思っていた。何しろ、日本に紹介されていないような、”熱い”ブリティシュ・ロックバンドはこのフェスティバルでほとんど観れると思っていたからだ。
1998年に念願かなって初めてこのフェスティバルに行けた。ロンドンから電車で1時間程度でレディングに着き、30分歩いて会場到着。
メインステージを取り巻くようにセカンドステージ、サードステージが配置されていて、ライブ・ミュージックをサイダー片手に楽しむ雰囲気があり、これなら見たいバンドは片っ端から全部観れるなあと云うのが、最初の印象。
実際、Monster Magnet、Rocket From The Crypt、Afghan Wigs、Deftonesをメインで見て、その間にセカンドステージでArab Strap、Kenickie、Mogwai、Super Furry Animalsのライブもフルで見ている。
何とも、お手軽、お気楽なファスティバルだった。
何しろ15年ぶりにレディング・フェスティバルに行かせてしまうバンド、それが、Uncle Acid And The Deadbeatsだ。
Uncle Acid And The Deadbeatsを知ったのは、アルバム「Blood Lust」。
彼らのどこが琴線に触れたかと云えば、”ブリティッシュ”の一言になってしまう。
沈み込むようなヘヴィーさと浮揚するサイケデリック感覚が見事にマッチしたところは、Soft Machine、Jethro Tull、Spooky Tooth、Freeが持っていたものと同じような魅力がある。
その上、若干ブリティッシュ・ジャズロック・テイストも感じられるところは、個人的なブリティッシュ・ロックの好みを全部かき集めて再現してくれているようで、大好きなバンドになってしまった。
しかしライブの日程をチェックしていてもあまり出てこない。
そんな時に、レディングフェスティバル出演が決まった。
彼らの名前が出演者リストに追加されたのは、”どうしようかな”と迷いに迷っていた時だった。
何故ならば、私が観たいと思ていたバンドはほとんど”フジロック”に出演が決まっていたからだ。
これなら、”イギリスまで行くことはないか”と考えていた、まさにそのとき、出演が発表された。
その日にイギリス行きを決定。慌ててホテルを探すということに。
彼らが出たのは、3日間続くフェスティバル最終日の8月25日(日)の夕方。
Lock Up/Rock Stageと名付けられた、約1,000人収容するテント・ステージだった。
余談になるが、このステージ、Tomahawkが前日のトリだった。
さて、今回どうしても書いておきたいのはライブなのだ。
先ず、大きなアンプを並べる最近のバンドと違い、”えっ”て思わずにいられないほど、コンパクトなアンプがステージ上にセットされた。
その光景は、大昔にロリー・ギャラガーを初めて見た時と同じような印象。
ここで、期待が膨らむ。
メンバーがステージに出てくると、最前列を陣取った奴らが、何やら話しかけている。
軽く受け答えしながら、真ん中の奴はレスポールジュニアを、もう一人のギターは白いSGをギターケースから取り出した。
ベースの奴はフェンダーのプレジだ。
ドラムは頭がツルツルだった。
何となく、セッティングが出来たかなという感じで、いったん引っ込んだかと思っていたら、すぐに出て来て、ライブスタート。
ここからは、冒頭に書いたように、50分近く”最前列で、柵に捕まって頭を振って踊り狂っていた”のである。
その時間の短かったこと。
初めて見るバンドは、ライブ・セットのどこかで冷静になってしまうことが多いのだが、こいつら考える余裕を与えてくれません。
1曲目のイントロのギターの音が出た瞬間、観る者のロック魂を燃え滾らせてくれます。
それは、”熱い”ブリティシュ・ロックバンドそのもの。
大貫さんが目撃したAlex Harveyもこんな感じだったのかなあ、などと今は少しだけ冷静に思い出せるんだけど、目の前にいるメンバーのロック然とした佇まいに、興奮・絶頂感はヴォルテージ・アップ。
荷物が邪魔になったので、目の前にいるセキュリティーに荷物を預け、ひたすら快感度200%のビートに身体を委ね続けていました。
セットは、大体2曲くらいずつで流れが出来ているようで、中だるみはしない。
レディング出演はバンドにとって、ショウケースなので、多くの人に興味を持ってもらえるようなセットの組み方をしていたかもしてない。
まあ、これも今だから考えられるんだけどね。
ヘヴィーな曲が続いて、気持ちよくなっていると、”あっ!”という間に、ライブは終了。
周りの奴らに、”イイェーィ・ロックだぜ”と声を掛けられてはしゃいでいたら、メンバーが出て来て後片付け開始。
慌てて真ん中に突入するものの、セットリストを貰い損ねてしまった。
ライブ中、何しろ、今俺たちは大好きなロックをやっているんだ!っていう雰囲気がビンビン伝わって来る。
アクションが凄いとか、抜群のテクニックがある、ということよりも、もっと大切なところを目の当たりにしてしまった。
これは、日本のロックファンに体験して欲しいと思った。
日本に帰って来てすぐに南部さんに観て来たことを伝えたら、今回、KABUTO METALでの来日を決めてくれた。
4月が待ち遠しい。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ