パンクが日本に上陸したのが1977年だったことは、今までいろいろ調べて来て解った。
じゃあ、日本のバンドは?となるはずだ。
実際、日本のバンドはどうだったのか?
日本のアンダーグラウンド・ロック・シーンについては、あまり詳しくない。
外道は知っている。ルージュも知っている。
だけど、全部レコードやライブを見ただけの話。
1976年8月には、山口富士夫とルイズルイス加部のバンド”リゾート”がライブを始めたとか、
同じ日に、日劇でロックバンドを集めてコンサートがあったとか、 情報は、なぜか入って来た。
個人的には、ハルヲフォンを1976年に初めて見て、60年代ロックのカバーをやっているところなど、”Dr.Feelgoodみたいだなあ”と思っていた。
そうしたら、翌1977年9月に出した『ハルヲフォンレコード』で”パンクな装い”を披露して来た。
ここら辺で、日本でパンクがメジャー・シーンで初めて出て来た訳だ。
この頃、ハルヲフォンのライブに行くと、パンク・ファッションの人がいたもんだ。
”ぎんざNOW”の影響か、1978年『電撃的東京』のレコ発ライブなんて、セディショナリーズに身を包んだ人だらけだった。
他には、原宿シネマクラブでライブをやっていたプラスティックスが、日本のパンク・バンドとして紹介されていた。
1978年春、東京の六本木に新しいスタジオが出来たという話が伝わって来た。
”S-KEN スタジオ”がそのスタジオ。
確か、原宿のブティック”SMASH”で山本さんに教わったはずだ。
パンクをやるらしい、情報はそれだけ。
8月下旬に東京に行ったとき、山本さんから、”バンドが関西に行くらしいから見たら?”って言われた。
10月10日に京都大学西部講堂で行われた”BLANK GENERATION”コンサートに、小学校からの幼なじみ5人で、豊田から、のこのこと出かけて行った。
この時点で見たことがあったバンドは”紅蜥蜴”だけ。
個人的には、日本で初めてパンクを意識したバンドを見ることが出来ることで気持ちは高ぶっていた。
パティ・スミスを意識した”ブランク・ジェネレーション”、ベースが椅子に座っているロンドンパンク寄りの若さ爆発の5人組”SS”と地元の若いバンドを見て、”いいじゃん”って思って外に出たら、 いかにも”地下のロック”な人たちがたむろしていた。
ネコと遊んでいたMr. Kiteのヴォーカル、海外帰りの匂いに満ちあふれた田中唯士さん。
なんか、雰囲気が格好良かった。
ライブは、鏡をドラムセットの周りに配置したMIRRORSで度肝を抜かされ、S-KENの”月がきれいだから見てこいよ”というアジテーションに驚き、 紅蜥蜴からリザードに名前が変わっていただけでなく、スピーディな演奏になっていた、彼らの変わり具合にビックリしていた。
だけど、一番の驚きは、何と言ってもFRICTIONだ。
ライブが始まる前に、いきなりSSのメンバーがステージ前に陣取りだした。
こっちも、慌てて前に行ったら、身体の大きいSSのメンバーから、”このバンドは、凄く格好良いよ”って言われた。
まず、ライブが始まる前、ステージに出て来たメンバーの佇まいに圧倒された。
だって、ライブが始まるまでブラブラしていた時とは全く雰囲気が違っていたから。
凛々しいのだ。
ドラムの人は、背筋がピンと立っていて、こちらを睨みつけている。
ベースの人は、小さなベースギターを持って、サングラス越しに睨みを利かせている。
そしてギターの人は、肩に頭をのせて、ジャンキーな雰囲気をガンガンに出している。
音が出た途端、超高速のスピードに圧倒される。
隣のSSのメンバーと一緒になってステージの袖を持って、ジャンプ大会だ。
正確に言うと、”ポゴ”しまくっていた。
怒濤の20分か30分。
演奏が終わった時、こちらは汗だくの放心状態。
初めて見た、FRICTIONの印象は、本当に強烈で、すぐにでも東京に見に行こうと思ったぐらいだ。
京都から豊田までの帰り道、みんな興奮していたから。
で、思ったよりも早くFRICTIONをまた見ることが出来た。
本当に偶然。
David Bowieを東京に観に行ったついでの、 12月8日、SPEEDを渋谷の屋根裏に見に行ったら、何とFRICTIONが出て来たのだ。
この日のライブは、FRICTIONの本のライブ一覧から漏れているので、みんなに信じてもらえないが、 何と、テープレコーダを持って行ったから、録音したテープが手許にあるのだ。
そういえば、この日は、森脇さんとか、東京のパンク界隈の著名人が多くいたな。
ライブはどうだったか、といえば、 ステージに出て来たメンバーを見て、またもやビックリ仰天。
だって、10月に見た時とメンバーが違っているんだから。
ジャンキーな雰囲気のギターがいないのだ。
替わりに、パンクな雰囲気の出で立ちをしたギターになっているじゃないか。
でも、ギターをセッティングしている仕草も、さまになっているから、違和感無しだ。
ヴェンチャーズのフレーズを弾いている。
ベースの人が、”あっい、あっ”て声を出した途端、”ワン・ツー・スリー・フォー”のカウントと同時に演奏スタート。
ライブハウスだから京都大学西部講堂で見たときよりも、間近に音を受け止めることに成功。
鋭角でジャリジャリしたギターの音、硬質で跳ねるようなベースの音、垂直に飛び跳ねるドラムのビート。
この三位一体ぶりは、一体どこから来るのか?
だって、メンバーが替わってるにもかかわらず、何年も一緒にやっているような音なのだ。
またもや、怒濤の30分。
FRICTIONの音を受け止めることで精一杯。
考える余裕なんて全くありません。
ここで、完全にFRICTIONにやられた。
おそらく、ロンドンの奴らがSex Pistolsで受けた衝撃と同じようなもんだろう。
違うことといえば、同世代ではなくちょっと年上の人がやっている(実はここがかなり大きな違い)ところかな。
何しろ、”自分でバンドをやらなきゃ”って、まじに思わせたんだから。
この日から、リアルな日本のパンクの動向が本当に気になりだしたのだ。
第24回付録 ”Uncle Acid And The Deadbeats”
ストレートに、大好きなUncle Acid And The Deadbeatsの来日記念だ。さて、大好きなUncle Acid And The Deadbeatsだが、”いつ頃バンドが始まったんだろう?”といった簡単な事さえ知らなかった。
いや、クレジットにあるメンバーの名前以外知らなかった。
あまりに、何にも知らないので、どんなバンドなのか、ちょっと調べてみたので、まとめて報告しよう。
このバンドは、Pink FloydのSyd Barrettがよく飲んでいた、イギリスはケンブリッジのパブ「THE ANCHOR」でUncle AcidことK.R.Starrsが遭ったミュージシャン二人と、当初はスタジオ・プロジェクトとして、2009年にスタートした。
当初のメンバーは、Uncle Acidがヴォーカル・ギターとキーボード。Redがドラムス。Katがベース。
バンド名は、元Cactusのヴォーカリスト、Rusty Dayが1980年代に組んでいたバンド”Uncle Acid And The Permanent Damage Band”から来ている。
2010年に8曲入りのアルバム『Vol.1』をKiller Candy Recordsから限定20枚のCD-Rでリリース(初期のインタビューでは”約6ヶ月かけて30枚売った”とも言っている)。
続いて、2011年に同レーベルから9曲入りアルバム『Blood Lust』(当初はCD-R)をリリース。
このアルバムがRise AboveのLee Dorrianの耳に届き、”ニール・ヤングがチャールズ・マンソンにオートバイを渡すかのように”彼らを手助けする事になる。
当初はスタジオ・プロジェクトとして活動していたが、ライブをするようになると、リズム・ギターやコーラスにキーボードが必要になり、その後約20回のラインアップ変更を行ったらしい。
私は、Rise Aboveから出た『Blood Lust』を耳にした途端、理屈なしにこのバンドを好きになった。
どうして、こんなに好きなのか?。
ブリティシュ・ロックそのものの匂いを感じ取ったからだ。
それは、Spooky Toothのセカンドアルバム『Spooky Two』やFreeのセカンドアルバム『Free』のような”石畳をみしみしと荷馬車を轢いて行くような”重さ。
Jethro Tullの『Stand Up』に通じるような”霧の中”にいるような湿っけ。
そして、Led Zeppelinのファーストアルバムにある”確信犯的な”強烈なパワー。
これだけ、大好きなものが一気に詰まったバンドは滅多に出現するもんじゃない。これらのバンド総てに共通する、ブリティッシュ・トラッドの隠し味も、上手くブレンドされている。
この感じ、いまの言葉で言い換えると、ドゥーミーかつヘヴィーでサイケデリックでメタリックなロックということだ。
多くの人が比較の対象にするBlack Sabbathの影響というのは、正直なところあまり感じ取ることが出来なかった。
それよりも、StrayやBudgieといった、若さに任せたパワーに満ちあふれたバンドを連想した。
『Blood Lust』に狂っていたら、待望の新譜が出るというニュースが入って来た。
このニュースで、初めて4人組のUncle Acid And The Deadbeatsを見ることが出来た。
バンドの雰囲気はサイケデリックな頃のPink FloydやSoft Machineみたいな写真だった。
また、ロンドンのイズリントンにあるライヴ・ヴェニュー”ガレージ”でライブをやることも、ほぼ同時に知った。
この情報だけで、次のアルバムは、もっとサイケデリックな色合いが強い作品だろうと勝手に想像していた。アルバム・タイトルも『Mind Control』だからね。
ところが、『Mind Control』は『Blood Lust』と全く別の色を持った作品だった。
一言でいえば、ロック色が強くなっている。ぶっちゃけた話、1975年までのBlack Sabbathのような音になっている。
とは言うものの、ノイズ的なうるささが決定的に違う。ヘヴィーというよりはノイジーなのだ。
この、耳をつんざくようなうるささは、今のロックそのもの。
バイクで”バリバリ”いわせているかのような、暴走集団になっている。
インタビューを読むと、Uncle AcidことK.R.Starrsはカルトな映画が好きなようで、『Blood Lust』は1960~1970年代のものをイメージしているようだ。
そして『Mind Control』はバイカー映画の影響もあるようだ。
音楽的な影響として、The Kinks、The Stoogesをあげる一方、意外なところでLAメタルのW.A.S.Pの影響があるとも言っている。
この混沌とした情報イメージを複合させてUncle Acid And The Deadbeatsを聴くと、何か新しい風景が見えてくるような気持ちがする。
『Mind Control』はイギリスのバンド特有の、石畳の路地を行き止まりに向かって突っ走る感覚というよりも、イースト・アングリアの航空基地からメッサーシュミットを攻撃に出るスピットファイヤーのような勇猛な感じがある。
それはBlue Oyster Cultの3rdアルバム『オカルト宣言』と同じのような感じだ。 ラインナップ変更後、K.R Starrsを除く他のメンバーは、Dean MillarがベースItamar Rubingerがドラムス、Yotam Rubingerがギターとバッキング・ヴォーカルのようだ。
Uncle Acid And The Deadbeatsはドゥームのジャンルにくくられるんだろうが、そのライブに接すると、ジャンル分けの無用さを感じてしまう。
古典的な意味でのハードロックが一番彼らを指すにはふさわしいだろう。
それは、進歩的で革新的であらゆるものを飲み込んで独自の解釈で新しいものにチャレンジする、若々しい感性に満ちたロックを指していたからだ。
このバンドを聴いたり、ライブを観たりすることで、かつてNeil Youngがインタビューで答えていた”ロックって進歩的(プログレッシブ)なものだろう”という言葉の意味を改めて感じ取って欲しい。
CREDIT: TAYLOW / the原爆オナニーズ